Garakuta集め

出会いにタカラモノもガラクタもあった。

OH! gi-riのオカーサン! 20 -最終話-

デブまっしぐらの私は、精神的にも腐っていた。

然しながら、申し訳ないけど義理父が亡くなって

こんな事を書くと「ひっでぇ人間!!!」

思われるだろうけど、なにか取り付いていた物が取れたような気がした。

 

「苦しまずに逝ってくれて、本当に良かった」という気持ちと、

この先のこの夫婦の姉達と元夫の性格を鑑みたら、

義理の母までもが同じ状況になったら私は押しつぶされると、

自分の自我に対して自身が無かった。

 

義理父の葬儀も済んで暫くは、義理母の家に行き、気晴らしになるだろうと

お出かけやドライブへ誘い、義理母が食べたかったけど我慢してたっていう

レストラン等へ一緒に出掛ける。そんな日々が続いた。

でも、義理の母にも終末は訪れる。

 

私たち子供たちと遊んだ後はだいぶ気持ちも前向きになり、

ご近所のお友達とお出かけするようになった。

 

旅行も本当は行きたかったけど、自分がガンなのを隠していいたため、

臆して行けなかったのだ。温泉に行きたいって言ってた。

 

義理のお母さんの為に、入れる温泉を探した。

でも、私のサーチ能力不足か、旅行会社に問い合わせもしたけど、

義理母の望む温泉施設は見つからなかった。

 

そんなささやかな義理母の望みを露知らず、本当の娘たちは

「お母さん、これからだよ!いままで我儘なお父さんに付き合ってきたんだもん」

など、長く連れ添った夫婦の別れの姿を見てないからなのか、

元気付ける為なのか、言い放ってた。

 

それを言われたと私に話義理母の顔は、「娘なのに」という顔してた。

私も言ってる言葉が50過ぎの女どものセリフに聞こえないな。とは心の片隅に

思ったが、私の知らない時代に彼女らの体験から言わせたのだろう。

 

義理のお母さんと近所を歩いていたある日、

「garakutaさんが、私の葬儀の手配を全て行ってね。

全部、あなたにしてもらいたい」。と言ってきた。

 

義理のお母さんの最後の我儘だった。

 

暫く義理姉、ヨウコちゃんが何故か実家に顔をちょくちょく出すようになり、

元夫に言わせれば「財産分与の話に漕ぎ着けたいんじゃない?」だったが、

どんな理由でも父親の時は、ヒーラー気取りで週一で顔だしたり、出さなくなったりする気まぐれ義理姉だったので、母親に対しては足繁く通うならいいんじゃないか?

と思っていた。

 

また、義理のお母さんから一緒に居るときに息子に渡して。と、

元夫の名義の積み立てを預かっていた。

後日、私は、時期を見て夫にそれを伝え、渡した。

 

姉二人、息子一人、平等に貯金額が渡る様に積み立てていたらしい。

一番お金が掛からなかったのは、一番おとなしい性格の元夫だった。

 

思う事も色々あったようだ。

 

義理姉がチョクチョク顔を見せているのに安心して、暫く私たちは

週一での訪問に切り替えた。

義理姉、ヨウコちゃんの機嫌を損ねたくなかったからだ。

また、精神的に疲れが溜まっていた所でもあった。

 

或る、暖かい日に義理母から電話が掛かってきた。

「garakutaちゃん?あのね、もう、体が無理だと思って

病院に電話してね、入院する事にして今日から入ったの。今、ヨウコちゃんにも

電話するから。息子にも伝えておいて」。だった。

 

この頃、ガンのせいでやせ細っていたし、私は万が一の事があった時の為に

義理母から、ガンの手術のせいで毎日取り換えなきゃいけないものの

体から取り外すやり方と取り付け方を教わっていた。

 

自宅介護になるのだろうか。と思っていた。

それなら、一緒に暮らす事も考えた。

でも、私が突っ走ってもと思い、元夫がどうしたいのか、どう思うのか様子を見ていたが、特に何も発言が無かった。

 

そうこうするうちに「ヨウコちゃんが一緒に暮らして面倒みてくれるっていうのよ」と

なんとなく、イヤミに聞こえる様な耳障りで言われた。

 

え?リンゴも向けないヨウコ姉さんですよ!

むしろ、精神休まらないんじゃ!

とも思ったけど、そばに誰かいてほしかったんだろう。

体が辛い時は余計に人ってそうだ。

「母親が入院した時に母親の好みのパンツを買えるのは実の娘だけだ」と、

昔、祖母の事で父が言ってたのを覚えてる。

男は急な事態に対応できる適応能力が女より低いもんだ。という言葉だと思う。

 

元夫が何も口を開かないのはこういう事なのかな?

義理姉がいれば、義理のお母さんへごはんを作れなくても他の事で

気兼ねなく出来るのではないかな?とか思ってた。

*父の世代はって言う意味で全ての男性がってもんではないです。

 

しかし、本人はしっかりしたもので、入院手続きを自分で行い

病院から報告してきた。

 

念のため、これを自分の実母にお知らせ。

「お見舞いに行く。もう、元夫君のお母さんに会えなくなるかもしれないから」。

とある平日、義理のお母さんの元へ親子でお見舞いに行く。

昨日来たのに、なんだかまた痩せたみたい。

 

お姉さんも二日おきに病院へ通ってるみたいで、実家に泊まっているようだった。

 

元気そうだけど、虫の知らせは侮れないものだと思った。

入院して1週間後の実母との訪問だったが、義理姉が病院の廊下で

「garakutaちゃん、ママね、この3日位で寝てる時間が長くなって

意識がすぐ飛ぶんだよ。抗がん剤治療をやっぱりしたいって言い始めて。

私は、本人の好きにさせてあげればいいと思うんだけど。意識がね」。

と、言ってきた。

 

もう、足も浮腫み初めてる。

 

今更抗がん剤使ったって、苦しみに耐えて、痛みに耐えて、

痛いまま死んじゃうじゃん。辛い顔して死んじゃうじゃん。

私はそんな辛い目にあってほしくない。

 

ヨウコちゃんは自分の意思を尊重するというスタンスだった。

実の娘がそう思うなら、そうしていいとしか私も言えなかった。

でも、医者も判ってたのか、義理母が結局世迷い事として私たちに言ってただけなのか、なんも進展なかった。抗がん剤に関しては。

 

経過観察だった。

 

ただ、義理姉ヨウコちゃんは、変なスピリチュアルが好きなものだから、

なんか、変な教祖の詰まんねーCDを持ってきて自分の親に聞かせてた。

なんか、くそつまんねー歌詞だった。

義理母は藤あや子とかテレサテンとか聞きたがってた。

でも、娘の好意と思っていい歌ね。って聞いてた。

入院してまで娘に気遣うやさしさって何?

 

あと、義理姉のもう一人、海外にいる娘も変な宗教がすきだった。

わざわざ、海外から日本語版の「宇宙の法則」とか言う様なタイトルの本送ってきてて、ご丁寧に入院先でも読もうとしてたのか、持ってた。義理母。

この時は義理母も生きる為に前向きの方向性が判らなくなってるのか、

海外に住んでいる娘から送られた、なんか、変な本読んでて、

「精神が」なんとか「宇宙の原理から言うと」とか言うようになってた。

 

話はだいぶ脱線したが、実母と私でヨウコちゃんからそんな話を聞いて

「判りました」と答えたと思う。

 

義理母は私の母が来てくれたことに大変喜んでくれて、

なんか、親同士の話をしてた。

子供がいくつになっても気になって。

母ってメンドクサイよね~みたいな事言ってたと思う。

フランクに会話してた。

うちの母に限っては「母ってめんどくさいよね~」だな。とか思いながら

コーヒー飲んでおとなしく母親二人の会話をみてた。

もうちょっと両家家族同志楽しめる事を提案し、実行すればよかったと

この時思ったが、遅かった。

 

母が見舞いに来てくれて、1週間後義理母を身罷る。

その日は私は前日も病院にお見舞いに行って、夜中に義理姉から電話が掛かってきて

「ママの意識が戻らないの。もしかしたら、今夜中かも」と、

ヨウコちゃんの声が若干取り乱していた。

 

丁度、元夫も帰ってきて夕飯も済ませていたので、

車で病院まで向かった。

残業してたので、疲れてるし内心は気が気じゃないだろうと

私が運転した。

義理父の時も同じだったような。私が運転で、彼は助手席で落ち込んでた。

今回も同じだった。

*この時期、何かの為にお酒を控えてました 

 

病院へ着いたら、まだお母さんは昏睡していたが

心拍数図るやつの動きが鈍いかんじだった。

 

昼間と違うものだった。

 

夜半も過ぎ、心拍数の音に全員気にかけた。

義理のお母さんの目がかすかに開き、一所懸命何かを訴えていた。

ヨウコちゃんがお母さんの顔に自分の顔を近づけ、たぶん、声なんか聞こえてないのに、

「うん、うん大丈夫だから。判ってるから、ママ、安心して!」って言ってた。

元夫は目の前の光景が信じられないらしく、窓側で突っ立ていた。

暗い顔で。

私は母の手を握っているだけだった。

 

少しすると

「ビー――――――――――――――――っ!!」って心拍数図るやつが

鳴いた。

 

皆がおいおい泣いた。

私は、やっぱり他人なんだ。と思った。一人しっかりと

医者呼ぼうと、ベットに備え付けのブザーを押した。

 

暫くしても医師がやってこず、ヨウコちゃんは泣き疲れたのか、

医者も来ないのに少ししらけたのか

「タバコ吸ってくる・・・。ちょっと持ち直してくる」と、病院の外へ出てった。

 

 

医師が来たのは朝が空けた時間で医師が脈を取り、その時間をご臨終とされた。

 

あぁ、そういう事ってあんの?って内心おもったが、そういうもんなのだろう。

医師のその決め台詞みたいな「○時○分、ご臨終です」。という言葉を聞いて

朝日を背に私の肩から背中へかけて「何か」が音を立てて崩れた。

 

ガラガラガラ!!

って、なんていうか、大きいブロック塀みたいなのが

肩からドンドンと落ちていく感じで、それが落ち切って

 

「あ、アタシのここでの役目終わったんだ。

自由になれる」。

 

って自然に凄く、自然に思った。

 

多分、私は「義理のお父さんとお母さんに会う為にこの人と結婚したんだ」って

何故か思った。

 

最後に

 

義理母の最期のお願い。

 

葬儀の準備を進める為、葬儀会社へ私はフラフラと病院内の

電話していいエリアへ行き、スマホを取り出し依頼をした。

 

オワリ。

 

最後に。

最初の導入はとんでもねー結婚だったけど、住まいは勝手に決められるし

無職の夫だし、国籍危うくなくしかけるし、生活も楽にならないし、

でも、自分たちで作る結婚式や決めた住まいに住んでも、義理の親と

表面だけの付き合いで離れれば姑、舅との折り合いが悪くて文句タラタラな

友達もチラホラいる。常に自分の親と同様、夫の親を気にかけてる友達もいる。

 

何が正しいかとか、どう振舞うのが良いのかは判らないが、

私の場合で言えば、最初の初期設定が既にエラー反応だったから、

バグを取り除く作業を兎に角私はした方だと思う。

 

実の息子、長男がいるのに、娘もいるのに葬儀や相続の話や

自分が病気とどう向き合いたいか、どうしたいか。を義理母は書かなかった部分は

沢山あるけど、話してくれたし私も自分の意見を伝えた。

ちょっとギクシャクする事もあったけど、義理母の懐の広さでお茶菓子食べながら

昼間のニュース見ながらあーじゃねー、こーじゃねーとダラダラしてた事もあった。

嫁と姑だけどエアー感度は良好だった。

 

この人の息子といるよりも義理のお母さんと居るときが楽しい事が沢山あった。

でも、嫌いだと思う事もやっぱりあった。

娘としてみてくれてありがたい気持ちは今でも大切にしている。

でも、結局、離婚しちゃったから。。最後に思ったのはホントウ。

この老夫婦に会う為に結婚したんだと思う。