Garakuta集め

出会いにタカラモノもガラクタもあった。

OH! gi-riのオカーサン! 19

義理の両親には娘が二人いた。

私よりも一回り以上年上の義理姉だ。

1人は海外で生活をしている。

 

もう一人は、日本にいる。

 

この姉、稼ぎはすこぶる自慢してくるのだが、

料理はせず、お金で解決するらしく、料理が出来ないわけでは無いみたいだが、

しない

を一貫している。らしい。

 

義理両親に手作りの総菜や、義理父用にスープを持っていったら

私が帰った後に義理姉が遊びに来て、一緒に夕飯をした時に

 

「このスープおいしいね~!どうやって作ったんだろう!!」

と、喜んで食してくれた。と後で義理母から聞いたが・・・。

 

義理のお姉さん・・・・・。

 

褒めてくれてもなんか、微妙・・・。

もう、状況みたら食材調達が今のところ、一番手助けになるの判ってるじゃん・・・。

自分が顔を見せれば親が喜ぶ=元気になる

と、思っているらしい。未だに。

 

そんなの、家出て20年経過した娘に思うか!!

精神的に頼りにしたいに決まってるじゃん!50近くの娘がその考えって

甘え切ってないか?

いや、こういう親子愛なんでしょうけど、いいんだけど。

 

後日、義理母と福祉施設に「もし、義理父が歩けなくなった事」を想定して

何が借りれるか、定期的な介護要請などはどうしたらいいか等、

聞きに行った道すがら。

 

「ヨウコ(仮名、義理姉)ちゃんはね、本当にお父さんの事聞いても

自業自得じゃない?とか言うの。

でも、心配してお父さんの好きなウナギのお重買ってきてくれたんだけど、

お父さんも頑張って、良いとこ見せようと思ったんだけど、全然食が細いのよね。

食べれなくて。

 

でね、なんか気功なのか、掌にオーラがなんとかとか言って、

お父さんの幹部に掌当てて、お父さん少し楽になったって。

なんか、そういうの、資格いるの?取得したんですって!!」

 

私「へー」

しか、答えられなかった。

 

内心、義理父は娘の機嫌を損ねない様に遠慮したんだろ!!!

つか、それ、ヒーラー気取りってやつ?お金払えばお免除貰えるって、

国家資格とかと一緒にすんなーーーーー!!!全然凄くないから。

多分、10万はらえば取れる奴だから!!!

 

そうなんです。

義理姉、ヨウコちゃん(仮名)はスピリチュアルが大好きなんです。

それにつけても、義理母、娘バカすぎね?

マジで言ってるんですか???娘、変なものにお金あるからって、

ハマってますやん。

 

ちなみに、義理姉は性格がキツイ、厳しい、めんどくさい。と結婚当初から

義理両親から伝えられ続け、元旦那も自分の思い通りにいかないとヘソ曲げる、

メンドクサイ。との事で私は刷り込まれていた。

 

どんな和田アキ子の様な女かと思って会ってみたら、細身で小柄で

可愛らしい声をしたとても年齢に見合わない可愛らしい義理姉だった。

 

そんなこんなで、義理父、うな重にしてもヒーリングにしても、頑張ったんだと思う。

 

あれ、私、またマウントされたー?とか思いもしたがスルーした。

 

この後、義理姉に関して一人暮らししてるのに、住民票を移して無い為に

義理両親の世帯での世帯主扱いになっていた為に年金受給が低い等の愚痴を

聞かされたことを思い出すが、これはまた別の話だ。

 

長くなったが、義理母と福祉施設へ行き、万が一の時の手助けをしてもらえる場所は

判った。何してくれるかもわかった。

手すりを付けるか等も相談した。

 

後日、義理父が「手すりなんて俺には必要ない!」と拒絶。

断念。

 

色々聞いて二人で、「その時は間近なんだ」と再確認した。

 

義理父がガンだと判った時も「嫁と姑でデート!」と言って

二人でこっそり、病院でやっている終末医療の講座へ出かけた。

 

場所は銀座から近くだったので、帰りに二人で美味しいものでも食べようと

出かけたが、受講の後、義理のお母さんは気分が落ち込み、

義理お母さんの気分転換に駅まで回り道をして、義理のお母さんの話を

おとなしくずーっと聞いてた。

 

なんだかんだ、最初は義理姉が料理も出来ない、気遣いは電話と顔見せのみ。

物質的に甘えたい事、助けてほしい事は何も思いつかない。いつまでたっても

お姫様なんだろうと、そこにつけいったつもりでもあった。

元夫にしても、尻を叩かないと動かなかった。

 

週末、遊びに活かせていたのもそのためだ。

 

義理のお母さんも、看病でへとへと。男手が欲しい事もあるだろうと

実家に向かわせていた。私は3時間程遅れて顔を出していた。

 

親子水入らずを大事にしてほしかったからだ。

でも、義理の両親にしたら「garakutaちゃんは何でいつも後からくるの?」だった。

私も家族だった。

 

余計な画策をしなくても、良かったのだと思ったけど遅れてやってくる。

を辞めなかった。

 

義理の父は、最後は徐々に体が利かなくなり、浮腫みが出てきて、

自分の体が言う事を効かない事に苛立ち、それでも最後は静かに逝った。

 

身罷ったのはやはり、妻である義理母だった。

 

ここまで、本当に色々あった。

老々介護だった。

 

手助けが少しでもできたのだろうか。

最後に夫婦で義理両親を誘い、東京湾をドライブした。

車から見る、見たこと無い景色に喜んでくれた。

 

義理父とは、横浜の山の手からベイブリッジを通り、

大桟橋から横浜の夜景を堪能してもらった。初めてみる景色だったそうだ。

声を出して感動を漏らしてくれた。

 

近場でも、見た事ないものを見せたかった。

遠くに連れていけないから、男同士で美味しい天丼が食べたいとか、

義理父の望みは常に家族で、息子と。と、ささやかなものだった。

悪い嫁だったけど、少しは役に立てたのかな。判らない。

 

義理母は、相続の話を私にし始めたが、

この時、義理母もガンのステージ4が判っていた時だった。

 

私は、「お母さんは、まだまだ元気でいるから、お母さんがどうしたいか。

だけど、相続を子供たちから母親に渡す方法があるよ。

お母さんの為なら、子供たちは納得するでしょ。私も自分の実家の親の時には

そうすると話し合ってるよ」。と、提案した。

 

私は、こういう話は出て来るだろうと、

元夫には義理父のガンが判った時に既に伝えていた。

 

所謂、でしゃばり嫁ではあったが、これから義理母にかかる

医療費を考えれば、法定相続人で分与しても、結局、援助も想定出来る。

 

「お母さんは母で、妻だったんだから、子供たち集めて相談して。

あと、行政書士に相談してもいいかも?もしくは、区役所に相談出来るとこ無いか

電話できいてみたらいいよ」。と付け加えた。

 

早速、義理母は役所へ相談し、私の提案に乗った形になった。

義理母がガンなのに、姉弟で争う様な真似は無い様、義理母の配慮でもあった。

 

それも、こっそり二人でお茶した時に聞いた。

すんなり、3姉弟は母からの提案を快諾した。

 

義理父が亡くなってから、3カ月程、義理母の精神は落ち着かなかった。

法定相続人ではない人は例え家族であっても、口出すのはタブーです。

 

余計、揉めるから。

余計、ややこしくなるから。

それは、身を持って判っていた。

今回の事に関しては義理姉もそう考えていた事もあったので、

元夫も母親を思えばこそ。があったので、余計な事を言わなくても良かったのかもしれない。

 

暫く、穏やかな日が続いた。

 

然しながら、私は介護の不安で毎夜の酒が進み

デブまっしぐらとなっていた。

 

私は、