Garakuta集め

出会いにタカラモノもガラクタもあった。

OH! gi-riのオカーサン! 18

私たちには子供が出来なかった。

 

というか、私は要らなかった。

 

要らなかったと言うと、違うな。

 

「この人との間に子供は作りたくない」

 

だった。

 

結婚生活が進むうちに、子供がいたらどうなんだろう~って考えた事は

勿論あったけど、真剣に考えたら

 

多分、いい父親になってくれると思う。

多分、私を労って家事をしてくれると思う。

(当初、彼はなんにも出来ない人だったが、料理や洗濯物の素材の種別など教えて

掃除以外の家事も出来るようになっていた)

 

恐らく、良い家族というものが出来るだろう。

 

が、

 

私は?

私は、子供が欲しいのか。

結婚したかったのか?そもそも、結婚したら子供作らなきゃいけないの?

 

私は、いま幸せなんだろうか。

何にも考えないって幸せ~って思ってた時もあるし、余計な事を考えず

のんびり過ごしていた事もあった。

 

そんな事を考えてた事も根底にあった。

 

さて、義理の父である。

ガンの発覚から夏の暑い日、心細いから。と、一緒に病院に行くことになった。

彼は仕事で午後半休を取って病院へ駆けつけた。

 

なんか、がんセンター行ったんだけど、遠いとこ行ったわ。

ガンの場所は伏せておきますが、日本で5%位の発症率。

昔、義理父が仕事でアジアへ行った時に拾ったんじゃね?と調べて思った。

 

治療はしなかった。

 

というか、それをすると、味覚が失われて顔面が爛れない様に細心の注意を

払う必要があった。

あと、高齢だったので、正直心の中では治療をして「延命」にしがみ付いて

抗がん剤投与もしたりして、体が動かなくなって自分の体が思い通りにいかない

苛立ちを感じる位なら、ガン治療をしないで出来るだけ沢山笑って、

好きな食べ物食べて、調子いい時はお友達と遊んで。

 

そう過ごしてほしいと思っていた。

祖母がガンでがん治療で抗がん剤を飲んでいたが副作用が辛くて

いつもしんどい思いをして体は痩せこけ、健康になる人には見えなかった。

辛いから抗がん剤を辞めた時、徐々に体力が回復し食欲も戻り

健康体だった。長くは続かなかったけど2年位かな。元気だった。

 

好きな事した方が、自分らしいよ。

薬に頼っても、頼らなくっても年老いたらどっか悪くなるし、

若い時と違うのも当たり前だもん。

 

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上記、読んでた事もあったけど。

大いに共感しました。

というか、実際に祖母がそうだったので。

 

義理母にもこの本を貸しました。

夫婦で結論を出してね。

 

結論、次の日の朝に電話で聞きました。

 

義理母は一所懸命、私が貸した本を読んだそうだけど、

単純に、義理父が

「痛いの大っ嫌い!!!!」

「味覚がなくなる位なら治療しない!

自分の体力で打ち勝つ!!!」

と本人が言い切ったそうです。

 

なので、まぁ、それが良いと思います。と言った。

それからだ。調子がいいのは1年半程だったか、1年くらいなのか。

本当は半年だったのかもしれない。

 

旅行も行ったり、孫が遊びにきたり(義理姉の子)楽しい日々を続けていた。

 

それが、やっぱりダンダンと体が利かなくなってきた。

私は仕事を辞めていた。

恐らく、時期的にそろそろ手が必要だろうと。

タイミングが合っていた事を覚えている。

 

そこからは自宅警備員と義理母が塩分やらなにやら言い始めたものだから

料理担当をした。

 

一切、塩を使わない野菜スープ。

 

これね、家庭の火力でやるには長丁場ですよ。

イチからコンソメスープ作るとは・・・。

 

人参がいいらしいの!garakutaちゃん!!

と義理母が言えば、調理場(ふつーの台所)で仕込んだスープから

有機野菜なんとかの人参をひたすら手でスリ卸す。

5本もスルと腱鞘炎みたいになるんだね。あんなに人参擦ったの

後にも先にも今のところない。

 

他、義理母が自分で食べる副菜も数品作って

スープと副菜を車に積んで持っていく。

 

お父さんがチンジャオロース食べたいって!

私作った事無いから!どうしよう!!

 

作った。

作って持って行った。

 

出来るだけ、塩分を入れない様(正直、食べたいもの食べればいいと思う)

出汁から作るのが多かった。

 

私が作ったものは出汁が利いているせいか、舌で感じる力も弱まっている

義理父でも味を感じられたみたいで

「これ、美味しいからまた明日も食べる」って残してまで食べようとしていたそうだ。

 

私が作ったもので良ければいつでも作ったのに。

 

義理父の人生の終盤に私の手料理を褒めてもらえてうれしかった。

また、義理母も疲れて自分の分の料理すらも面倒になっていたので、

余分に義理母の分も作って持って行って良かった。

 

この時、こんな時だけどこの夫婦に一番自分が貢献できたのでは無いかと思う。