Garakuta集め

出会いにタカラモノもガラクタもあった。

OH! gi-riのオカーサン! 17

お母さんの馴れ初め、初期の愚痴をグダグダ書く形になってしまったので、

20回目で終わらせるつもりで書いてますが。

 

まぁ、いわゆる、嫁と姑(舅)もとなると、完結になんていけないものですな。

 

 

前夫の再就職が決まり、私はホトホト愛想が尽きていた。

 

よく言われる、年下彼女は年上彼氏に「こうあってほしい」を押し付けていた事も

あったと思うが、自覚もしているが、付き合っているうちに

あれ?なんか、この人「いい事は自分のおかげ、悪い事は人のせい」みたいなトコない?とか。垣間見えていた事もあったが、打ち消したいところでもあった。

 

しかしながら、ごはんの趣味というか、食事を一緒に食べて「おいしく食べる」のは

理想というか、楽しい食事は友達でも恋人でも勿論、楽しいから是非そうしたいのだが、彼との食事では無言か詰まんねー話が多かった。

この時点で辞めればよかったんだよね、私。

 

あと、元旦になると家族で集まるからと言って元旦に一緒に初詣に行った事無い。

友達なんかとは、元旦に初詣に中学の頃から行っていたのに・・・。

 

友達付き合いや恋人より家族ですか?

そうですか。

判りました。

 

なんか、全体的につまんなかったと思う。

彼の人の良さとか判ってはいたけど。

 

それでも結婚したのは私の責任なので。

 

まぁ、贖罪のつもりで結婚生活を続けた。色々あったけどさ。

 

それにつけても、元夫は自分の親のいいなりになっているというか、

親が言う事は「結婚が初めての体験だから、いう事を聞く」という事だった。

いや、だからこそ、二人で話し合わないのか?なのだが。

 

そこに、義理父と母の介入は多分にあり、初っ端からくじけた。

年齢が若いという事をカサに、本当なら言わない事も言った。

 

あと、世間が家族メインなので、元夫には刺激になればと、自分の

友達夫婦などと交流を持たせた。

 

 

ある程度、年月が過ぎ、義理の父と母の人の温かみを感じて

こちらから、寄せていくことを決めた。

前に書いた通りだ。

 

そうすると、スルスルと仲良くなった。

私が意固地でいたのもイケなかった。と、思う。

 

然しながら、なんか、あの人達のどや顔が本当に腹立ってはいた。

 

彼らは私たちが結婚した2、3年後に定年退職した。

 

それから、お互い「息子、元夫」というフィルターを通さなくても

連絡を取り合うようになった。

 

新しく買ったラップトップの扱い方が判らない。

プリンターA5で印刷するにはどうしたらいいの?

全て、些細な事だ。でも、頼ってくれる。

 

些細な事で交流を持てるのが嬉しかった。

 

驚いたのは、真夏の炎天下、うだるような夏に

仕事かえりに立ち寄った。留守電にメッセージがあって

あれ?と思って電話したら、町内会で配るチラシの印刷のサイズの変更が出来ない。

と、いう事だった。

 

お父さんからの伝言だった。

 

家につき、

義理ママンに「暑かったでしょう、さぁ、飲んで」と

出されたのが「熱いお茶」だった。

いや、無理!喉からからだし!!ぐぃーって飲みたい。

水道水でいいから水くれ!!だった。

 

こういう所が年齢差なのだろうか。

エアコンで茶の熱が冷めるのを待って、PCの印刷設定を弄った。

 

この時、「老人って夏でも熱いもの飲むんだね」と、テレビで言ってるの

嘘じゃないんですね。

熱中症予備軍にならないか心配した。

 

暫くいい感じが続いた。

 

義理ママンと近所へ買い物。

義理ママンとパパんとお寿司食べに行く。

 

沢山食べると喜んでくれる。

 

でも、やっぱり私の元夫に対する主体性の無い態度が気に入らなくって

自分の親さえ喜べばそれでいいの?

というのがずーっと引っかかってマンションを売りに出し、

 

自分の実家の近くへ引っ越す。

 

そこから5年もしないうちに、義理父がガンのステージ4が判り、

その後、1年後に義理ママンのガンステージ4が判明する。

 

心の中でなんで引っ越してしまったんだろう。

この人達には悪気は無かったのに。

自分の事、ちゃんと言えなかった自分も悪いのに。

 

家を買い替えるなんて大事だけに

もう一回買い替えるなんてできないし。

 

義理ママンは夫婦で退職してから、私の好みも判らずに

なんか、旅行に行ったら必ず、変な数珠とか、実用性にはアレ?な重い箸置きとか

(恐らく、南部鉄器シリーズ)浅草でも買えるのに、スッキリ醤油が垂らせる醤油差しとか買ってきてくれた。

 

正直、どれも「つかい辛い・・・醤油差しも既にあるし」だったが、

気持ちとして「お母さん箱」を作り仕舞っていた。

使ってない事に落胆させてしまった事があったけど、

次の機会に。と取っていた。

 

義理の父の世話に義理ママンは疲れて来るだろうと、

まだ、義理ママンのガンが発覚する前、出来るだけ

多く義理父に会いに行った。

 

当の息子はのらりくらりだった。

最初は動揺してたけど、そんなに早く進行しなかったというか、

ドラマみたいに、直ぐにどうこうではなかったからね。

 

こういう所も「自分は長男だから」とか言う割に

考え無しなので嫌だった。

多分、もっと親は顔を見たいはずなのに。自分の息子の。

私は週末、とにかく実家に元旦那を通わせた。