Garakuta集め

出会いにタカラモノもガラクタもあった。

市場価値を改めて知る

市場価値を上げる為、志望しました。

市場価値を知り、適切な値付けをする。

市場での価値に一手とおじる策を起こすのに最適な・・・。

 

など、市場価値というのは、就職や転職に良く、己を高める希望等に使われますが、

事、女40も成れば

 

己の

 

女としての市場価値

 

を意識しないでいられるものだろうか。

 

普段、見ない「お見合い大作戦」をなんとなく帰宅後にTV付けたらやってたので

みてみた。

 

ほんっとぉーにお嫁さん探してる地方の男性って・・・

女性参加者より一所懸命さが判る様な・・・

また、番組もそういう人をクローズアップするから余計に思うんだけど。

 

参加女性が、

 

参加男性より年上って

 

無いわ!

と、みてて思った。

 

家族を築いていきたい。という中には子供欲しい。というのが

稼業を継ぐうえであるんだろうし。

 

これ、もし自分が興味沸いて応募したくなったら

真っ先に審査オチ。

 

では無いかと。

 

 

見てて思ったのが

 

東京にいる方が

 

同年代も、年上も年下の異性と接する事は多いし、

恋愛だけでみたら、自由度は高いから年下だろうと同年代だろうと、

年上だろうと、関わりを持つ事は出来る。

 

これが結婚か。と、なると別の話だが・・・。

 

 

しかし、

チャンスは自分で作れるかもしれない!

 

と、お目目を開けて思える。

 

が、現実みて

 

鏡みてみたら

 

こんなもんだよ、えへへっ。なのである。

 

自分、えへへっってやつなんですよ。

やっぱり、市場価値ねぇな。へっ。

 

 

市場価値はそういう婚活の場で必要な一つのボーダーラインなるものも

含まれているから無視できないと思うけど、

 

逢う人が合う。を見つけるなら市場価値云々よりも

てめぇの力量を再確認した方がいいんだろうね。。。

メリットとデメリットを客観的に把握してセルフプロデュースで

プレゼン・・・って若い時に散々やった

個性とファッションとメイクの折り合い地点の探し方みたいな・・・。

 

自信の無い所を個性として活かしながら。。。

見た目だけなら、若い時はカヴァーできたでしょうよ。

これに収入やこれまでの生き方とか捉え方まで関わってくるんだろうか・・。

 

婚活無理だな、この時点で。

市場価値ゼロな。

 

 

専ら、ゲームして好きな事して仕事イヤで

不労所得を得る事を考えている俗物で

やっぱり、男女の市場価値を考えると頭が疲れるなぁ。自分、どうしたいんだろう。と、考えると結局、、、

 

老後の心配をする。

てめぇでテメェのケツ拭ける生き方しないとな。

 

 

結局、テレビで見るような女性や男性は

テレビの中だけなのだ。

 

行動力がないのだ。

 

市場価値を考えたところで、考え無駄だった。

自分には。

 

アラサーも30前半ならまだ夢も希望もあるでしょうよ。

でも、

 

自身に過信すると

もう、アッ!って言う間

 

で若い時は蜃気楼ですよ。

 

蜃気楼を見れてるうちは、自分、花です。華か。

だって自信あるんだもん。

自信ある人の方が強いよな。何事も。

 

とかなんとか思いながら、若い子の恋愛事情を聴きながら

安いサワーを居酒屋で呑む日々・・・・。

 

 

ちょっといいかな。

以前書いたコレの続編が出来ました。。

 

 

 

しつこいようですが、今、販売業に従事してます。

 

 

 

 

 

常にお客様第一主義を掲げてますが、お客様は神様ではありません。

しかしながら、だからと言って論外な接客は致しません。

 

 

そこで困るというか、厳密に言えば対応に困るお客様なのか、

既にご近所さんなのか判らない方の訪問です。

 

 

今回は、そんなお話。

 

(あー、脱、サービス業してぇ

 

 

 

占い師気取りなのか、何かの宗教にハマってるのか、独学なのか

なんなのか素性は一切判りませんが・・・・・。

 

 

お店のご近所なので、人柄も悪くなく

むしろ、顔を見せに来てくれる。

 

でもね、やっぱり勝手に占いしてくるんですよ。

 

 

う~ん、契約してほしいんだけど。

契約しなくてもいいから、ふつーに近況報告等の立ち話レベルでもいいんだけど。

 

世話好きなのかなぁ。

 

 

以前、勝手に「悪霊払っておいた」という方・・・・

今度は私に「独立しろ」と、

 

いや、実家でヌクヌクしてませんよ。

 

これ、「起業しろ」って意味です。

 

なにやら、名前で占うやつらしく、その起業に丁度いいタイミングを勝手に

占って、報告に来たって話です。

 

正直、世の中の最先端とかパイオニアになれる資質なんかございません。

なれれば、とっくになっていたと思います。

しかしながら、この方の占いによると、

なんか、一々いいことづくめ!!!

 

金運やら、人望力など、なんか色々良い事言ってくる。

 

極めつけは

 

晩年に運が開けて、運が上がってくから、金運が上がってくる。

だから、結婚なんか考えちゃだめよ!!

起業しなさい!

 

と、言われた・・・。

 

正直、

 

マにウケてない。。。

 

なんなら、前回の20回シリーズで書いたような結婚生活だったものだから、

ちゃんと好きな人が出来たら、むしろ結婚したい。

つか、結婚はそれは、楽しいものでもあったし。

一緒に年を取れるパートナーは正直欲しい。

 

また、人望なんか無いと思う。金運も無いと思う。

自分でいうのもなんだけど。

というか、言ってしまいますけど、

性格悪いし、本当は口悪いし、なんなら笑顔だって作れない。

接客にあたるために笑顔の練習したくらいだし。

そんな人間がコミュ力無理に作ってるに決まっている。

 

「お金に執着しない」と、このお客様になるのかならないのか判らない人の占いにも出ていたが、お金はあって越したことないが、

正直、慎ましく暮らせて、好きな趣味や友人との食事を楽しめて

日々の食事に苦労しなければ、そして僅かでも貯金が出来るなら別に

困らないという、無い袖を無理に振るタイプだ。

そこ、唯一当たっている。

 

 

正直、

 

女としての市場価値

 

なんざ、もう無いに等しい。というか、無いかもしれない。

 

結婚してぇ~。とか、高望みでしかないと思う。

だから、再婚とかまた好きな人とか、諦めた方が良いと思う。

趣味に没頭したりとかでも良いと思っている。なんなら、この年齢で無理だと

世間で言われてる事にチャレンジしちゃってもいいかな。と思っている。

どうせ、定年退職なんかあれでしょ、垣ねなくなるでしょ。

サービス業なんか70過ぎ迄やるつもりないよ。

下手したら、今の日本、80過ぎ迄働かして税金奪われそうだとさえ思ってる。

 

年齢いっても、私が若いころの様に

「何々業界25歳限界説」「35歳限界説」なんか、突破われてる片りんも

求人サイト見るとおもうしな。

 

話逸れた。

 

しかし、企業して尚且つ「創業者」になれる運勢。

この持ち込まれた占い・・・・。

 

こっちの方が

 

再婚してぇ~。

 

という、気持ちよりも遥かに 非現実的。

 

 

 

とか、なんとか思いながら

 

「へぇ~そうなんだ!

でも、今の職業もお客様の様に

親切な方と出会えて楽しいので考えられないなぁ~。

でも、有難うございます。私の為にお時間を使っていただいて!」

 

と、自分でも花丸あげていんじゃね?というお礼をして

すこし、自分の人生の振り返りをしてみましたが・・・。

 

会社起こすとか、正直ピンとこないわ~ってなってました。

 

 

 

後日、同僚にこのくだりを話したら

 

「え?それ、お金取られてない?」

ー私、ううん、取られてない。

「こわいよ~、なんか宗教はいってるのかな?」

ーお客様のプライベートは聞かないからわからないけど、お金取られてないよ。

「変な勧誘されてない???」

ーうん、されてないよ。でも、ちょっと怖いよね。

「私、ぜったい無理!!!気を付けてね」

 

すげぇ、心配された。

そうだよね、私も同僚が同じ目にあったら心配するわ・・・。

 

しかし、この占いしてくる方は何をしたいのだろうか・・。

謎である。

 

オチも無い、なーんも無い話でした。

OH! gi-riのオカーサン! 20 -最終話-

デブまっしぐらの私は、精神的にも腐っていた。

然しながら、申し訳ないけど義理父が亡くなって

こんな事を書くと「ひっでぇ人間!!!」

思われるだろうけど、なにか取り付いていた物が取れたような気がした。

 

「苦しまずに逝ってくれて、本当に良かった」という気持ちと、

この先のこの夫婦の姉達と元夫の性格を鑑みたら、

義理の母までもが同じ状況になったら私は押しつぶされると、

自分の自我に対して自身が無かった。

 

義理父の葬儀も済んで暫くは、義理母の家に行き、気晴らしになるだろうと

お出かけやドライブへ誘い、義理母が食べたかったけど我慢してたっていう

レストラン等へ一緒に出掛ける。そんな日々が続いた。

でも、義理の母にも終末は訪れる。

 

私たち子供たちと遊んだ後はだいぶ気持ちも前向きになり、

ご近所のお友達とお出かけするようになった。

 

旅行も本当は行きたかったけど、自分がガンなのを隠していいたため、

臆して行けなかったのだ。温泉に行きたいって言ってた。

 

義理のお母さんの為に、入れる温泉を探した。

でも、私のサーチ能力不足か、旅行会社に問い合わせもしたけど、

義理母の望む温泉施設は見つからなかった。

 

そんなささやかな義理母の望みを露知らず、本当の娘たちは

「お母さん、これからだよ!いままで我儘なお父さんに付き合ってきたんだもん」

など、長く連れ添った夫婦の別れの姿を見てないからなのか、

元気付ける為なのか、言い放ってた。

 

それを言われたと私に話義理母の顔は、「娘なのに」という顔してた。

私も言ってる言葉が50過ぎの女どものセリフに聞こえないな。とは心の片隅に

思ったが、私の知らない時代に彼女らの体験から言わせたのだろう。

 

義理のお母さんと近所を歩いていたある日、

「garakutaさんが、私の葬儀の手配を全て行ってね。

全部、あなたにしてもらいたい」。と言ってきた。

 

義理のお母さんの最後の我儘だった。

 

暫く義理姉、ヨウコちゃんが何故か実家に顔をちょくちょく出すようになり、

元夫に言わせれば「財産分与の話に漕ぎ着けたいんじゃない?」だったが、

どんな理由でも父親の時は、ヒーラー気取りで週一で顔だしたり、出さなくなったりする気まぐれ義理姉だったので、母親に対しては足繁く通うならいいんじゃないか?

と思っていた。

 

また、義理のお母さんから一緒に居るときに息子に渡して。と、

元夫の名義の積み立てを預かっていた。

後日、私は、時期を見て夫にそれを伝え、渡した。

 

姉二人、息子一人、平等に貯金額が渡る様に積み立てていたらしい。

一番お金が掛からなかったのは、一番おとなしい性格の元夫だった。

 

思う事も色々あったようだ。

 

義理姉がチョクチョク顔を見せているのに安心して、暫く私たちは

週一での訪問に切り替えた。

義理姉、ヨウコちゃんの機嫌を損ねたくなかったからだ。

また、精神的に疲れが溜まっていた所でもあった。

 

或る、暖かい日に義理母から電話が掛かってきた。

「garakutaちゃん?あのね、もう、体が無理だと思って

病院に電話してね、入院する事にして今日から入ったの。今、ヨウコちゃんにも

電話するから。息子にも伝えておいて」。だった。

 

この頃、ガンのせいでやせ細っていたし、私は万が一の事があった時の為に

義理母から、ガンの手術のせいで毎日取り換えなきゃいけないものの

体から取り外すやり方と取り付け方を教わっていた。

 

自宅介護になるのだろうか。と思っていた。

それなら、一緒に暮らす事も考えた。

でも、私が突っ走ってもと思い、元夫がどうしたいのか、どう思うのか様子を見ていたが、特に何も発言が無かった。

 

そうこうするうちに「ヨウコちゃんが一緒に暮らして面倒みてくれるっていうのよ」と

なんとなく、イヤミに聞こえる様な耳障りで言われた。

 

え?リンゴも向けないヨウコ姉さんですよ!

むしろ、精神休まらないんじゃ!

とも思ったけど、そばに誰かいてほしかったんだろう。

体が辛い時は余計に人ってそうだ。

「母親が入院した時に母親の好みのパンツを買えるのは実の娘だけだ」と、

昔、祖母の事で父が言ってたのを覚えてる。

男は急な事態に対応できる適応能力が女より低いもんだ。という言葉だと思う。

 

元夫が何も口を開かないのはこういう事なのかな?

義理姉がいれば、義理のお母さんへごはんを作れなくても他の事で

気兼ねなく出来るのではないかな?とか思ってた。

*父の世代はって言う意味で全ての男性がってもんではないです。

 

しかし、本人はしっかりしたもので、入院手続きを自分で行い

病院から報告してきた。

 

念のため、これを自分の実母にお知らせ。

「お見舞いに行く。もう、元夫君のお母さんに会えなくなるかもしれないから」。

とある平日、義理のお母さんの元へ親子でお見舞いに行く。

昨日来たのに、なんだかまた痩せたみたい。

 

お姉さんも二日おきに病院へ通ってるみたいで、実家に泊まっているようだった。

 

元気そうだけど、虫の知らせは侮れないものだと思った。

入院して1週間後の実母との訪問だったが、義理姉が病院の廊下で

「garakutaちゃん、ママね、この3日位で寝てる時間が長くなって

意識がすぐ飛ぶんだよ。抗がん剤治療をやっぱりしたいって言い始めて。

私は、本人の好きにさせてあげればいいと思うんだけど。意識がね」。

と、言ってきた。

 

もう、足も浮腫み初めてる。

 

今更抗がん剤使ったって、苦しみに耐えて、痛みに耐えて、

痛いまま死んじゃうじゃん。辛い顔して死んじゃうじゃん。

私はそんな辛い目にあってほしくない。

 

ヨウコちゃんは自分の意思を尊重するというスタンスだった。

実の娘がそう思うなら、そうしていいとしか私も言えなかった。

でも、医者も判ってたのか、義理母が結局世迷い事として私たちに言ってただけなのか、なんも進展なかった。抗がん剤に関しては。

 

経過観察だった。

 

ただ、義理姉ヨウコちゃんは、変なスピリチュアルが好きなものだから、

なんか、変な教祖の詰まんねーCDを持ってきて自分の親に聞かせてた。

なんか、くそつまんねー歌詞だった。

義理母は藤あや子とかテレサテンとか聞きたがってた。

でも、娘の好意と思っていい歌ね。って聞いてた。

入院してまで娘に気遣うやさしさって何?

 

あと、義理姉のもう一人、海外にいる娘も変な宗教がすきだった。

わざわざ、海外から日本語版の「宇宙の法則」とか言う様なタイトルの本送ってきてて、ご丁寧に入院先でも読もうとしてたのか、持ってた。義理母。

この時は義理母も生きる為に前向きの方向性が判らなくなってるのか、

海外に住んでいる娘から送られた、なんか、変な本読んでて、

「精神が」なんとか「宇宙の原理から言うと」とか言うようになってた。

 

話はだいぶ脱線したが、実母と私でヨウコちゃんからそんな話を聞いて

「判りました」と答えたと思う。

 

義理母は私の母が来てくれたことに大変喜んでくれて、

なんか、親同士の話をしてた。

子供がいくつになっても気になって。

母ってメンドクサイよね~みたいな事言ってたと思う。

フランクに会話してた。

うちの母に限っては「母ってめんどくさいよね~」だな。とか思いながら

コーヒー飲んでおとなしく母親二人の会話をみてた。

もうちょっと両家家族同志楽しめる事を提案し、実行すればよかったと

この時思ったが、遅かった。

 

母が見舞いに来てくれて、1週間後義理母を身罷る。

その日は私は前日も病院にお見舞いに行って、夜中に義理姉から電話が掛かってきて

「ママの意識が戻らないの。もしかしたら、今夜中かも」と、

ヨウコちゃんの声が若干取り乱していた。

 

丁度、元夫も帰ってきて夕飯も済ませていたので、

車で病院まで向かった。

残業してたので、疲れてるし内心は気が気じゃないだろうと

私が運転した。

義理父の時も同じだったような。私が運転で、彼は助手席で落ち込んでた。

今回も同じだった。

*この時期、何かの為にお酒を控えてました 

 

病院へ着いたら、まだお母さんは昏睡していたが

心拍数図るやつの動きが鈍いかんじだった。

 

昼間と違うものだった。

 

夜半も過ぎ、心拍数の音に全員気にかけた。

義理のお母さんの目がかすかに開き、一所懸命何かを訴えていた。

ヨウコちゃんがお母さんの顔に自分の顔を近づけ、たぶん、声なんか聞こえてないのに、

「うん、うん大丈夫だから。判ってるから、ママ、安心して!」って言ってた。

元夫は目の前の光景が信じられないらしく、窓側で突っ立ていた。

暗い顔で。

私は母の手を握っているだけだった。

 

少しすると

「ビー――――――――――――――――っ!!」って心拍数図るやつが

鳴いた。

 

皆がおいおい泣いた。

私は、やっぱり他人なんだ。と思った。一人しっかりと

医者呼ぼうと、ベットに備え付けのブザーを押した。

 

暫くしても医師がやってこず、ヨウコちゃんは泣き疲れたのか、

医者も来ないのに少ししらけたのか

「タバコ吸ってくる・・・。ちょっと持ち直してくる」と、病院の外へ出てった。

 

 

医師が来たのは朝が空けた時間で医師が脈を取り、その時間をご臨終とされた。

 

あぁ、そういう事ってあんの?って内心おもったが、そういうもんなのだろう。

医師のその決め台詞みたいな「○時○分、ご臨終です」。という言葉を聞いて

朝日を背に私の肩から背中へかけて「何か」が音を立てて崩れた。

 

ガラガラガラ!!

って、なんていうか、大きいブロック塀みたいなのが

肩からドンドンと落ちていく感じで、それが落ち切って

 

「あ、アタシのここでの役目終わったんだ。

自由になれる」。

 

って自然に凄く、自然に思った。

 

多分、私は「義理のお父さんとお母さんに会う為にこの人と結婚したんだ」って

何故か思った。

 

最後に

 

義理母の最期のお願い。

 

葬儀の準備を進める為、葬儀会社へ私はフラフラと病院内の

電話していいエリアへ行き、スマホを取り出し依頼をした。

 

オワリ。

 

最後に。

最初の導入はとんでもねー結婚だったけど、住まいは勝手に決められるし

無職の夫だし、国籍危うくなくしかけるし、生活も楽にならないし、

でも、自分たちで作る結婚式や決めた住まいに住んでも、義理の親と

表面だけの付き合いで離れれば姑、舅との折り合いが悪くて文句タラタラな

友達もチラホラいる。常に自分の親と同様、夫の親を気にかけてる友達もいる。

 

何が正しいかとか、どう振舞うのが良いのかは判らないが、

私の場合で言えば、最初の初期設定が既にエラー反応だったから、

バグを取り除く作業を兎に角私はした方だと思う。

 

実の息子、長男がいるのに、娘もいるのに葬儀や相続の話や

自分が病気とどう向き合いたいか、どうしたいか。を義理母は書かなかった部分は

沢山あるけど、話してくれたし私も自分の意見を伝えた。

ちょっとギクシャクする事もあったけど、義理母の懐の広さでお茶菓子食べながら

昼間のニュース見ながらあーじゃねー、こーじゃねーとダラダラしてた事もあった。

嫁と姑だけどエアー感度は良好だった。

 

この人の息子といるよりも義理のお母さんと居るときが楽しい事が沢山あった。

でも、嫌いだと思う事もやっぱりあった。

娘としてみてくれてありがたい気持ちは今でも大切にしている。

でも、結局、離婚しちゃったから。。最後に思ったのはホントウ。

この老夫婦に会う為に結婚したんだと思う。

OH! gi-riのオカーサン! 19

義理の両親には娘が二人いた。

私よりも一回り以上年上の義理姉だ。

1人は海外で生活をしている。

 

もう一人は、日本にいる。

 

この姉、稼ぎはすこぶる自慢してくるのだが、

料理はせず、お金で解決するらしく、料理が出来ないわけでは無いみたいだが、

しない

を一貫している。らしい。

 

義理両親に手作りの総菜や、義理父用にスープを持っていったら

私が帰った後に義理姉が遊びに来て、一緒に夕飯をした時に

 

「このスープおいしいね~!どうやって作ったんだろう!!」

と、喜んで食してくれた。と後で義理母から聞いたが・・・。

 

義理のお姉さん・・・・・。

 

褒めてくれてもなんか、微妙・・・。

もう、状況みたら食材調達が今のところ、一番手助けになるの判ってるじゃん・・・。

自分が顔を見せれば親が喜ぶ=元気になる

と、思っているらしい。未だに。

 

そんなの、家出て20年経過した娘に思うか!!

精神的に頼りにしたいに決まってるじゃん!50近くの娘がその考えって

甘え切ってないか?

いや、こういう親子愛なんでしょうけど、いいんだけど。

 

後日、義理母と福祉施設に「もし、義理父が歩けなくなった事」を想定して

何が借りれるか、定期的な介護要請などはどうしたらいいか等、

聞きに行った道すがら。

 

「ヨウコ(仮名、義理姉)ちゃんはね、本当にお父さんの事聞いても

自業自得じゃない?とか言うの。

でも、心配してお父さんの好きなウナギのお重買ってきてくれたんだけど、

お父さんも頑張って、良いとこ見せようと思ったんだけど、全然食が細いのよね。

食べれなくて。

 

でね、なんか気功なのか、掌にオーラがなんとかとか言って、

お父さんの幹部に掌当てて、お父さん少し楽になったって。

なんか、そういうの、資格いるの?取得したんですって!!」

 

私「へー」

しか、答えられなかった。

 

内心、義理父は娘の機嫌を損ねない様に遠慮したんだろ!!!

つか、それ、ヒーラー気取りってやつ?お金払えばお免除貰えるって、

国家資格とかと一緒にすんなーーーーー!!!全然凄くないから。

多分、10万はらえば取れる奴だから!!!

 

そうなんです。

義理姉、ヨウコちゃん(仮名)はスピリチュアルが大好きなんです。

それにつけても、義理母、娘バカすぎね?

マジで言ってるんですか???娘、変なものにお金あるからって、

ハマってますやん。

 

ちなみに、義理姉は性格がキツイ、厳しい、めんどくさい。と結婚当初から

義理両親から伝えられ続け、元旦那も自分の思い通りにいかないとヘソ曲げる、

メンドクサイ。との事で私は刷り込まれていた。

 

どんな和田アキ子の様な女かと思って会ってみたら、細身で小柄で

可愛らしい声をしたとても年齢に見合わない可愛らしい義理姉だった。

 

そんなこんなで、義理父、うな重にしてもヒーリングにしても、頑張ったんだと思う。

 

あれ、私、またマウントされたー?とか思いもしたがスルーした。

 

この後、義理姉に関して一人暮らししてるのに、住民票を移して無い為に

義理両親の世帯での世帯主扱いになっていた為に年金受給が低い等の愚痴を

聞かされたことを思い出すが、これはまた別の話だ。

 

長くなったが、義理母と福祉施設へ行き、万が一の時の手助けをしてもらえる場所は

判った。何してくれるかもわかった。

手すりを付けるか等も相談した。

 

後日、義理父が「手すりなんて俺には必要ない!」と拒絶。

断念。

 

色々聞いて二人で、「その時は間近なんだ」と再確認した。

 

義理父がガンだと判った時も「嫁と姑でデート!」と言って

二人でこっそり、病院でやっている終末医療の講座へ出かけた。

 

場所は銀座から近くだったので、帰りに二人で美味しいものでも食べようと

出かけたが、受講の後、義理のお母さんは気分が落ち込み、

義理お母さんの気分転換に駅まで回り道をして、義理のお母さんの話を

おとなしくずーっと聞いてた。

 

なんだかんだ、最初は義理姉が料理も出来ない、気遣いは電話と顔見せのみ。

物質的に甘えたい事、助けてほしい事は何も思いつかない。いつまでたっても

お姫様なんだろうと、そこにつけいったつもりでもあった。

元夫にしても、尻を叩かないと動かなかった。

 

週末、遊びに活かせていたのもそのためだ。

 

義理のお母さんも、看病でへとへと。男手が欲しい事もあるだろうと

実家に向かわせていた。私は3時間程遅れて顔を出していた。

 

親子水入らずを大事にしてほしかったからだ。

でも、義理の両親にしたら「garakutaちゃんは何でいつも後からくるの?」だった。

私も家族だった。

 

余計な画策をしなくても、良かったのだと思ったけど遅れてやってくる。

を辞めなかった。

 

義理の父は、最後は徐々に体が利かなくなり、浮腫みが出てきて、

自分の体が言う事を効かない事に苛立ち、それでも最後は静かに逝った。

 

身罷ったのはやはり、妻である義理母だった。

 

ここまで、本当に色々あった。

老々介護だった。

 

手助けが少しでもできたのだろうか。

最後に夫婦で義理両親を誘い、東京湾をドライブした。

車から見る、見たこと無い景色に喜んでくれた。

 

義理父とは、横浜の山の手からベイブリッジを通り、

大桟橋から横浜の夜景を堪能してもらった。初めてみる景色だったそうだ。

声を出して感動を漏らしてくれた。

 

近場でも、見た事ないものを見せたかった。

遠くに連れていけないから、男同士で美味しい天丼が食べたいとか、

義理父の望みは常に家族で、息子と。と、ささやかなものだった。

悪い嫁だったけど、少しは役に立てたのかな。判らない。

 

義理母は、相続の話を私にし始めたが、

この時、義理母もガンのステージ4が判っていた時だった。

 

私は、「お母さんは、まだまだ元気でいるから、お母さんがどうしたいか。

だけど、相続を子供たちから母親に渡す方法があるよ。

お母さんの為なら、子供たちは納得するでしょ。私も自分の実家の親の時には

そうすると話し合ってるよ」。と、提案した。

 

私は、こういう話は出て来るだろうと、

元夫には義理父のガンが判った時に既に伝えていた。

 

所謂、でしゃばり嫁ではあったが、これから義理母にかかる

医療費を考えれば、法定相続人で分与しても、結局、援助も想定出来る。

 

「お母さんは母で、妻だったんだから、子供たち集めて相談して。

あと、行政書士に相談してもいいかも?もしくは、区役所に相談出来るとこ無いか

電話できいてみたらいいよ」。と付け加えた。

 

早速、義理母は役所へ相談し、私の提案に乗った形になった。

義理母がガンなのに、姉弟で争う様な真似は無い様、義理母の配慮でもあった。

 

それも、こっそり二人でお茶した時に聞いた。

すんなり、3姉弟は母からの提案を快諾した。

 

義理父が亡くなってから、3カ月程、義理母の精神は落ち着かなかった。

法定相続人ではない人は例え家族であっても、口出すのはタブーです。

 

余計、揉めるから。

余計、ややこしくなるから。

それは、身を持って判っていた。

今回の事に関しては義理姉もそう考えていた事もあったので、

元夫も母親を思えばこそ。があったので、余計な事を言わなくても良かったのかもしれない。

 

暫く、穏やかな日が続いた。

 

然しながら、私は介護の不安で毎夜の酒が進み

デブまっしぐらとなっていた。

 

私は、

OH! gi-riのオカーサン! 18

私たちには子供が出来なかった。

 

というか、私は要らなかった。

 

要らなかったと言うと、違うな。

 

「この人との間に子供は作りたくない」

 

だった。

 

結婚生活が進むうちに、子供がいたらどうなんだろう~って考えた事は

勿論あったけど、真剣に考えたら

 

多分、いい父親になってくれると思う。

多分、私を労って家事をしてくれると思う。

(当初、彼はなんにも出来ない人だったが、料理や洗濯物の素材の種別など教えて

掃除以外の家事も出来るようになっていた)

 

恐らく、良い家族というものが出来るだろう。

 

が、

 

私は?

私は、子供が欲しいのか。

結婚したかったのか?そもそも、結婚したら子供作らなきゃいけないの?

 

私は、いま幸せなんだろうか。

何にも考えないって幸せ~って思ってた時もあるし、余計な事を考えず

のんびり過ごしていた事もあった。

 

そんな事を考えてた事も根底にあった。

 

さて、義理の父である。

ガンの発覚から夏の暑い日、心細いから。と、一緒に病院に行くことになった。

彼は仕事で午後半休を取って病院へ駆けつけた。

 

なんか、がんセンター行ったんだけど、遠いとこ行ったわ。

ガンの場所は伏せておきますが、日本で5%位の発症率。

昔、義理父が仕事でアジアへ行った時に拾ったんじゃね?と調べて思った。

 

治療はしなかった。

 

というか、それをすると、味覚が失われて顔面が爛れない様に細心の注意を

払う必要があった。

あと、高齢だったので、正直心の中では治療をして「延命」にしがみ付いて

抗がん剤投与もしたりして、体が動かなくなって自分の体が思い通りにいかない

苛立ちを感じる位なら、ガン治療をしないで出来るだけ沢山笑って、

好きな食べ物食べて、調子いい時はお友達と遊んで。

 

そう過ごしてほしいと思っていた。

祖母がガンでがん治療で抗がん剤を飲んでいたが副作用が辛くて

いつもしんどい思いをして体は痩せこけ、健康になる人には見えなかった。

辛いから抗がん剤を辞めた時、徐々に体力が回復し食欲も戻り

健康体だった。長くは続かなかったけど2年位かな。元気だった。

 

好きな事した方が、自分らしいよ。

薬に頼っても、頼らなくっても年老いたらどっか悪くなるし、

若い時と違うのも当たり前だもん。

 

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上記、読んでた事もあったけど。

大いに共感しました。

というか、実際に祖母がそうだったので。

 

義理母にもこの本を貸しました。

夫婦で結論を出してね。

 

結論、次の日の朝に電話で聞きました。

 

義理母は一所懸命、私が貸した本を読んだそうだけど、

単純に、義理父が

「痛いの大っ嫌い!!!!」

「味覚がなくなる位なら治療しない!

自分の体力で打ち勝つ!!!」

と本人が言い切ったそうです。

 

なので、まぁ、それが良いと思います。と言った。

それからだ。調子がいいのは1年半程だったか、1年くらいなのか。

本当は半年だったのかもしれない。

 

旅行も行ったり、孫が遊びにきたり(義理姉の子)楽しい日々を続けていた。

 

それが、やっぱりダンダンと体が利かなくなってきた。

私は仕事を辞めていた。

恐らく、時期的にそろそろ手が必要だろうと。

タイミングが合っていた事を覚えている。

 

そこからは自宅警備員と義理母が塩分やらなにやら言い始めたものだから

料理担当をした。

 

一切、塩を使わない野菜スープ。

 

これね、家庭の火力でやるには長丁場ですよ。

イチからコンソメスープ作るとは・・・。

 

人参がいいらしいの!garakutaちゃん!!

と義理母が言えば、調理場(ふつーの台所)で仕込んだスープから

有機野菜なんとかの人参をひたすら手でスリ卸す。

5本もスルと腱鞘炎みたいになるんだね。あんなに人参擦ったの

後にも先にも今のところない。

 

他、義理母が自分で食べる副菜も数品作って

スープと副菜を車に積んで持っていく。

 

お父さんがチンジャオロース食べたいって!

私作った事無いから!どうしよう!!

 

作った。

作って持って行った。

 

出来るだけ、塩分を入れない様(正直、食べたいもの食べればいいと思う)

出汁から作るのが多かった。

 

私が作ったものは出汁が利いているせいか、舌で感じる力も弱まっている

義理父でも味を感じられたみたいで

「これ、美味しいからまた明日も食べる」って残してまで食べようとしていたそうだ。

 

私が作ったもので良ければいつでも作ったのに。

 

義理父の人生の終盤に私の手料理を褒めてもらえてうれしかった。

また、義理母も疲れて自分の分の料理すらも面倒になっていたので、

余分に義理母の分も作って持って行って良かった。

 

この時、こんな時だけどこの夫婦に一番自分が貢献できたのでは無いかと思う。

OH! gi-riのオカーサン! 17

お母さんの馴れ初め、初期の愚痴をグダグダ書く形になってしまったので、

20回目で終わらせるつもりで書いてますが。

 

まぁ、いわゆる、嫁と姑(舅)もとなると、完結になんていけないものですな。

 

 

前夫の再就職が決まり、私はホトホト愛想が尽きていた。

 

よく言われる、年下彼女は年上彼氏に「こうあってほしい」を押し付けていた事も

あったと思うが、自覚もしているが、付き合っているうちに

あれ?なんか、この人「いい事は自分のおかげ、悪い事は人のせい」みたいなトコない?とか。垣間見えていた事もあったが、打ち消したいところでもあった。

 

しかしながら、ごはんの趣味というか、食事を一緒に食べて「おいしく食べる」のは

理想というか、楽しい食事は友達でも恋人でも勿論、楽しいから是非そうしたいのだが、彼との食事では無言か詰まんねー話が多かった。

この時点で辞めればよかったんだよね、私。

 

あと、元旦になると家族で集まるからと言って元旦に一緒に初詣に行った事無い。

友達なんかとは、元旦に初詣に中学の頃から行っていたのに・・・。

 

友達付き合いや恋人より家族ですか?

そうですか。

判りました。

 

なんか、全体的につまんなかったと思う。

彼の人の良さとか判ってはいたけど。

 

それでも結婚したのは私の責任なので。

 

まぁ、贖罪のつもりで結婚生活を続けた。色々あったけどさ。

 

それにつけても、元夫は自分の親のいいなりになっているというか、

親が言う事は「結婚が初めての体験だから、いう事を聞く」という事だった。

いや、だからこそ、二人で話し合わないのか?なのだが。

 

そこに、義理父と母の介入は多分にあり、初っ端からくじけた。

年齢が若いという事をカサに、本当なら言わない事も言った。

 

あと、世間が家族メインなので、元夫には刺激になればと、自分の

友達夫婦などと交流を持たせた。

 

 

ある程度、年月が過ぎ、義理の父と母の人の温かみを感じて

こちらから、寄せていくことを決めた。

前に書いた通りだ。

 

そうすると、スルスルと仲良くなった。

私が意固地でいたのもイケなかった。と、思う。

 

然しながら、なんか、あの人達のどや顔が本当に腹立ってはいた。

 

彼らは私たちが結婚した2、3年後に定年退職した。

 

それから、お互い「息子、元夫」というフィルターを通さなくても

連絡を取り合うようになった。

 

新しく買ったラップトップの扱い方が判らない。

プリンターA5で印刷するにはどうしたらいいの?

全て、些細な事だ。でも、頼ってくれる。

 

些細な事で交流を持てるのが嬉しかった。

 

驚いたのは、真夏の炎天下、うだるような夏に

仕事かえりに立ち寄った。留守電にメッセージがあって

あれ?と思って電話したら、町内会で配るチラシの印刷のサイズの変更が出来ない。

と、いう事だった。

 

お父さんからの伝言だった。

 

家につき、

義理ママンに「暑かったでしょう、さぁ、飲んで」と

出されたのが「熱いお茶」だった。

いや、無理!喉からからだし!!ぐぃーって飲みたい。

水道水でいいから水くれ!!だった。

 

こういう所が年齢差なのだろうか。

エアコンで茶の熱が冷めるのを待って、PCの印刷設定を弄った。

 

この時、「老人って夏でも熱いもの飲むんだね」と、テレビで言ってるの

嘘じゃないんですね。

熱中症予備軍にならないか心配した。

 

暫くいい感じが続いた。

 

義理ママンと近所へ買い物。

義理ママンとパパんとお寿司食べに行く。

 

沢山食べると喜んでくれる。

 

でも、やっぱり私の元夫に対する主体性の無い態度が気に入らなくって

自分の親さえ喜べばそれでいいの?

というのがずーっと引っかかってマンションを売りに出し、

 

自分の実家の近くへ引っ越す。

 

そこから5年もしないうちに、義理父がガンのステージ4が判り、

その後、1年後に義理ママンのガンステージ4が判明する。

 

心の中でなんで引っ越してしまったんだろう。

この人達には悪気は無かったのに。

自分の事、ちゃんと言えなかった自分も悪いのに。

 

家を買い替えるなんて大事だけに

もう一回買い替えるなんてできないし。

 

義理ママンは夫婦で退職してから、私の好みも判らずに

なんか、旅行に行ったら必ず、変な数珠とか、実用性にはアレ?な重い箸置きとか

(恐らく、南部鉄器シリーズ)浅草でも買えるのに、スッキリ醤油が垂らせる醤油差しとか買ってきてくれた。

 

正直、どれも「つかい辛い・・・醤油差しも既にあるし」だったが、

気持ちとして「お母さん箱」を作り仕舞っていた。

使ってない事に落胆させてしまった事があったけど、

次の機会に。と取っていた。

 

義理の父の世話に義理ママンは疲れて来るだろうと、

まだ、義理ママンのガンが発覚する前、出来るだけ

多く義理父に会いに行った。

 

当の息子はのらりくらりだった。

最初は動揺してたけど、そんなに早く進行しなかったというか、

ドラマみたいに、直ぐにどうこうではなかったからね。

 

こういう所も「自分は長男だから」とか言う割に

考え無しなので嫌だった。

多分、もっと親は顔を見たいはずなのに。自分の息子の。

私は週末、とにかく実家に元旦那を通わせた。

 

OH! gi-riのオカーサン! 16

玄関でのにこやかな労いは一過性だった義理父。

 

ここからは、居間についたらママンの独壇場だ。

とりあえず、夫婦のお気に入りの緑茶をもてなされますね。

 

いつも通りです。

 

そこから

 

義理ママンが(メンドクサイから、義理ママンで行く)

「garakutaさんも本当に大変だったでしょ。息子が無職で・・・・」

 

第一声がそれかい!他に言う事ねーんかい!!

 

もうね、内心ワラけてましたw

 

わかってたことじゃーん!なのに、家みてきたのあなたですから!!

 

義理ママン「働きながら、この子(息子)の世話するの大変だったでしょ」

 

えぇ、まぁ・・・。と視線はわざとらしく斜め下向き。

 

いや、もう、呆れて接してなかったからね。

「まぁ、私の父も顔が広いので転職の相談などさせて頂きました。

最後は自分で決めた職に就けたので、良かったと思います」。

 

もう、自己主張をさりげなくしながらの回答ですよ。

花丸じゃね?

 

ここに義理パパがちょっと待った~!とバリに自己主張してきた。

「俺も紹介したんだ」

 

ここで初めて息子、改め元夫が口を開く。

「親父のいう所は経理とか事務系だから。俺、そういうのでやってく気しないから」

 

え?何?そこ!!口答えポイントなの??

 

判らなくも無いけど!技術者としてきたからね!でも、お前の事一番

案じてたの、追い立てたけど義理パパじゃん!

そこは、有難かったけどとか付けとけや!

 

本当にこの人達は家族なのでしょうか。家族というカテゴライズされた装飾品

なのでしょうか。

 

なぜ、30も過ぎた息子を信用しないのでしょうか。

なぜ、色々口出すのでしょうか。

そんなに手をかけて、あなた達がいなくなって、

本当に何もできないダメ中年になったら心残りはないのでしょうか。

可愛がると自立させるは分けなのでしょうか。

 

この家族をみていると、うちって異常だとおもってたけど、

個人主義で個人のする事とは個人で責任持て。という放任主義だったので、

かなりの異空間一々驚かされる。

 

私「あ、お父さん・・。なんか、お電話が・・・。

心配されますよね、でも、大丈夫なんでもう心配しないでください。

お電話一日に毎日3回もされてたそうなので、さぞかし心配された事と思います。

すみません・・・」。

 

内心、てめぇのケツの拭い方教えてやってから社会に出せや!!!とさえ

思ってました。

 

電話して就職決まるなら、誰だって決まるわw

追い打ちかけてどうすんだよ。

 

そこへ義理ママンが

「そうよねぇ、なんか、電話辞めたら?って。本人も頑張ってるだろうし

する事ないって言ってんのに、するのよ~」

オホホホ。

 

それ、必死に止めて?笑い話じゃないから。

こっち、常に家帰ると部屋暗くて

お葬式状態だったし、国籍無くすし、意味判らなかったんだけど。

 

落ち込んでるの励ますのも骨折れたんだけど。

 

親が追い打ちかけんなよ。

 

こんな甘ったれ、へこむ一方で上昇なんか見えなかったんだぞ!

 

こんな状況を体験するほど、私は世間様に酷い事をした人生だったのだろうか。

私はなんの罰を受けているのだろうか。

 

この道は暗くて、もう、引き返す事は出来ないな。

余計にそう思った。

 

「garakutaちゃん、お父さんが電話しつこいから、

この子、落ち込んで大変だったでしょ。いてくれてありがとうね。

 

あ、そうだ!これ見てくれない?この子のイトコの結婚式の写真なんだけど。

 

garakutaちゃん、和服好きだから和装の結婚式良いと思うのよ~」

 

え?

 

このタイミング????

 

のらりくらりとかわした。

 

結婚式まで要望つけんのか。

 

親同士の顔合わせの頃はハワイで挙式って話もあったけど、

あなた達がフライングして家みてきて結婚式もてめぇ都合な事散々いってきたから、

そこまでおもちゃになる必要は私には無いと思って

拒絶してたのに。

 

お願いだから私に気持ちよく自分の親孝行もさせてよ。

 

こんな気持ちで結婚式あげられないよ。

 

親には本当にうれしい顔した私を見てもらって

喜んでもらいたいだけなのに。

 

形式にこだわって、世間を気にしてあなた達のお飾りでいる必要がないでしょ。

 

息子の転職が決まって、この次の一手をもってくる義理ママン。

 

この人は常に自分の欲望に正直なんだと思った。

そして、私は、わたしこそが

形式に沿う形で人の気持ちを大事にしてる

この新しい輪の中で唯一の人間なのでは。と錯覚さえした。